テレビ放送された映画の感想日記

20014年〜


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  2014年7月15日(火)        宇都宮      最高気温32.0℃   
 映画「ハリケーン」は、大分前に録画しておいたのだが、見るのが後まわしになっていた。
 今日、やっと見たのだが、なんと!感動の素晴らしかった映画だった。
 この映画は、実話にもとづいて冤罪を扱った映画だ。
 日本でも「足利事件」のように、冤罪により長期間、刑務所で過ごさなくては
 ならなかった人が、かなりの数、いると思う。
 昔のアメリカは、黒人というだけで疑われるという人種差別が横行していた。
 デンゼル・ワシントンが実在のボクサーに扮した人間ドラマ。無実の罪によって
 30年間も投獄された黒人ボクサー、ハリケーン。
 ボクサーとしての絶頂期に、いわれのない殺人罪で投獄されたルービン・ハリケーン・カーター。
 彼が獄中で執筆した自伝を読んだ少年レズラは、その背後に人種偏見が
 ある事を知り、彼の釈放運動に立ち上がる。
 彼がその疑いを晴らすまでの波乱に満ちた半生を、事件経過を織り交ぜながら描いてゆく。
 ハリケーンに扮したデンゼル・ワシントンの熱演が素晴らしい。
 無実の罪という事が早く認められますようにと、のめり込んでしまう映画だった。
 もし、冤罪にまきこまれなかったら、ボクサーとして華々しい人生を送る事に
 なったはずだったのに。。
 資料より
 カーターは、1961年、デビュー戦で判定勝ちをおさめたあと、立て続けに2度KO勝ちし、
 一躍世の注目を集めた。
 その後、逮捕されるまで、40試合のリングにあがったカーターは、
 KO勝ち19回(うち1ラウンドでのKO勝ちが8回)、
 判定勝ち8回という華々しい戦績を残している。
 1966年、ルービン・カーターは、ニュージャージー州で3人の白人を銃で撃ち殺したとして逮捕される。 凶器の銃は見つかっておらず、証言以外の物的証拠は何もなく、裁判で検察側が出廷させた二人の証人は、過去に何度も窃盗などを繰り返してきた白人であった。 しかし、裁判の結果 、カーターは全員白人で構成された陪審員 たちの評決から終身刑を宣告される。  1974年、カーターの自伝が出版されると大きな反響を呼び、若い官選弁護人やドキュメント・フィルム制作者などが、カーターのケースを見直し、裁判のやり直しを求め始める。当時の公民権運動と結び付いたこの動きは、プロボクサーのモハメッド・アリや政治家のエド・コッチなどを巻き込んだ市民デモに発展。 フォーク・シンガーのボブ・ディランもこの事件を歌った「ハリケーン」をヒットさせ、マディソン・スクエアガーデンの公演でその曲を歌った。(右の画像はボブ・ディランと面会しているもの) 証人たちも証言をくつがえし「自分の罪を大目にみてもらうために嘘の証言をし た」と告白する。  その結果、再び裁判が開かれたが、証人が再度証言を改め「現場から逃げるカーター見た」と言ったため、判決は前回同様の終身刑となった。  その後、カーターを救おうとするカナダのコミューンに住む人々や弁護士などが、証人が受けた嘘発見器の結果を検察側が隠していた新事実を発見する。カーターたちは、違法な拘禁を防ぐための人身保護令状の発行を裁判所に求め、1988年、最終的にカーターは自由の身となる。 【映画と事件について】  この映画については、実話とうたっていながらも事実と異なる部分があるとして、論争を呼んだようです。 黒人差別ゆえ、タイトル戦で白人に判定負けしたとする描写には、当時の対戦相手が訴訟を起こし、また、カーターに不利な証拠を意図的に描かなかったとして殺害された白人の遺族も提訴しているそう。 ちなみに、作中に現れる人種差別主義者の警官は、実在しないキャラクターであり、再審請求に関わるテリー、リサ、サムについては、9人いた関係者を集約した役らしいです。   それらに対し、カーター自身は「結局、連中は私を今でも牢屋につないでおきたいんだ。そこが(映画をめぐる)本当の争点なんだ」と話しているということですが、一部では、カーターは有罪だったという声すらもあがっているそうです。 事件について(映画について?)検証しているサイトもいくつかあるみたいですが、なにぶん、英語なので、写真だけ見てリタイアでございます。 そんなこんなで事件にについての詳細はわかりませんが、この映画で号泣した者としては、やっぱり無罪を信じたい今日この頃なのです。   1966年6月17日、ニュージャージー州パターソン。ボクシングのウェルター級チャンピオン、ハリケーンことルービン・カーター(デンゼル・ワシントン)は強盗殺人事件の犯人として検挙され、翌年終身刑を宣告された。すべては彼を幼年時代から知る仇敵の刑事デラ・ペスカ(ダン・ヘダヤ)のでっちあげ捜査によるものだった。収監後も囚人服の着用を拒み、無罪を主張するため自伝を執筆。74年、こうして出版された自伝『The 16th Round』は反響を呼んで、ボブ・ディラン、モハメド・アリら著名人が釈放活動に乗り出したが、2年後の再審でも有罪判決が下り、彼の存在は次第に世間から忘れられた。だが、隣国カナダのトロントに住むレズラ・マーティン(ヴィセラス・レオン・シャノン)という黒人少年が古本市で見つけた例の自伝に感動し、手紙を送ったことがきっかけで再び希望が。レズラの保護者であるリサ(デボラ・カーラ・アンガー)、テリー、サムら3人もレズラに賛同し、釈放運動のために立ち上がる。85年11月7日、連邦最高裁判所での最後の戦いに挑むルービンと4人。この結果、サロキン判事(ロッド・スタイガー)は再審の有罪判決を覆し、即時釈放を認める判決を下し、ルービンらは歓喜の渦に包まれるのだった。 【キネマ旬報データベースより】




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